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私が養護学校(現在の特別支援学校)の教員になった年は、養護学校義務制がようやく実現した昭和54年(1979)でした。それまで、就学猶予、免除として、義務教育さえ受けることができなかった子どもたちがやっと学校に通えるようになり、重症児と呼ばれる知的にも身体的にも重度の障害を持つ子どもたちの教育が始まりました。この子たちが、元気に楽しく生きていける力を育てたいと思いながらも、何をすればよいのか、どう接してよいのかさえわからず、悩んでいました。子どもたちの声が聞こえてくるようでした。
「先生、息苦しいよ~、息ができないよ~、何とか助けて~」「食べたいのに、うまく飲み込めず、むせてこわいよ~」「体が思うように動かなくて、変なところに力が入っていたいよ~、楽にしてほしいよ~」「目がちかちかして、手足がばたばた勝手に動いてしまい、頭がいたいよ~、どうしてかな~こわいよ~」「のどが渇いてガラガラなんだけど、声が出ないよ~、わかって~、聞こえないかな~」「唾液が飲み込めなくて、たまってきて、むせるよ~、こわいよ~、眠れないよ~」
そんな心の声に、何もできない教師とは名ばかりの自分がいました。何とかしたいと必死で本をあさり、全国へ研修にも行きました。
初期のころ、私が教師としてはじめて勤務した病院の重心病棟の学級では、肺炎や窒息、発作などで亡くなるお子さんが絶えませんでした。学校内勤務に代わってからも、年に数人が窒息や発作で救急搬送され、中には亡くなるお子さんもいました。全国的にも授業中や就学旅行などの仕事中、あるいはご家庭で、窒息や誤嚥性肺炎による死亡は珍しくありませんでした。私が担任したり、直接指導に関わったりしたお子さんのうち60名以上が亡くなられました(学校外)。2000年代に入ったころから、摂食指導や呼吸に関する研修が増えてきて、医療の進歩もあり、事故もやっと減ってきました。
重症児デイサービスや放課後等デイサービスが増えてきた2010年代は、デイサービスでの事故が何件もありました。名古屋市内のデイサービスでもカレーライスを食べていて窒息死、痰が絡んで救急搬送されて病院で亡くなったというケースなど悲しい事件が続きました。骨折などによる事故もかなりの数でありました。そのたび、つらく悲しく痛い思いをするのはご本人とご家族でした。
重症児に43年関わってきた者として、今まで出会い、ふれあってきた多くの障害児、ご家族が身をもって教えてくれた大切なことを研修動画にまとめてお伝えします。「子どもたちやご家族が、苦しまずに楽しく生活し、命を輝かせてほしい」そう願って配信させていただきます。少しでもお役に立つのであれば、幸いです。
特定非営利活動法人ひろがり 代表理事 / 障がいの重い子どもの「ふれあい体操」著者
丹羽 陽一